こんにちは。激レアさんでも紹介された吉開千代さんを見ていこうと思います。
吉開さんはマサイ族42人を率いた驚きの経験があります。
マサイ族を率いたことになった経緯や現在の仕事内容などを見ていこうと思います。
吉開千代さんのプロフィール
名前 | 吉開千代(よしかい・ちよ) |
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出身 | 東京都出身 |
大学 | 多摩美術大学立体デザイン科(1990年卒業後) |
会社 | 株式会社環境デザイン研究所に入社 |
1991年にMapta Safari Club(ケニア)造園設計・施工管理業務をフリーで受託。
1993年Chiyo & Co.,Ltd(ケニア)設立。
2000年第一園芸入社。
入社してからは都市計画、造園設計を担当していました。
趣味はラグビー観戦。特に高校ラグビーのファン。
出典元:DANRO
現在は50歳くらいでしょうか?
では、マサイ族を率いることになった経緯はどのような内容でしょうか?
マサイ族を率いたきっかけ
卒業後は設計事務所で都市計画と造園の部門で働いていて、1年半ほどたった時に、吉開さんの友人を通して、ケニアのサバンナで仕事をしないかと誘われたというのです。
仕事の内容は、ケニアのサバンナのど真ん中でロッジを作るという話
ロッジの設計はできていたものの、造園をしたいということで、吉開さんに声がかかりました
最初は、設計をするという約束で半年だけ休職し、現地にいった吉開さん
設計した後、作る人がいないから残ってほしいと懇願され、設計事務所を退職し、ケニアで造園を作ることになったそうです。
「退職願を向こう(ケニア)の灯油ランプの下で書いて日本に送りました(笑)」
ここまでがケニアで仕事をすることになった経緯です。ではマサイ族を42人率いたことになった経緯は次の通りです。
なぜ、マサイ族を42人率いたのか
場所はケニアの首都ナイロビから約250kmのマサイマラ。移動はセスナ機か、陸路だと6時間かかるサバンナのど真ん中、見渡す限り360度サバンナというところ。設計図はナイロビで引いた吉開さんでしたが、いざ現場に乗り込んでみると労働力が足りません。
マサイ族は労働力としてリクルートしたそうです。
どうやってリクルートしたのか。そのやり方は手伝うと言ってくれた人を雇っていった結果、42人になったというのです。
単なる労働力としてではなく、現地の調査員としてもマサイ族の知識を活用したそうです。
マサイ族はとにかく現地の植生に詳しい。これは牛の病気に使えるとか、食べられるとか、あるいは解毒剤になるとか。殆どが有用植物だということも教わりました。ですから私は、彼らの恵みの庭から採らせてもらったものを、ナーセリー(苗床)を作って増やして庭に戻す、という形で作業を進めていったんです
ただ、マサイ族は放牧や牧畜をする民族。造園は農耕することと似ているため、なかなか浸透しなかったそうです。
そこで吉開さんがとったマネジメントは次の通り
マサイ族をまとめたマネジメント力
マサイ族は同年代でグループをつくるという風習に着目して、グループ分けしてそれぞれで競争させたそうです。
チュイ(=ヒョウ)チーム」「ンドフ(=ゾウ)チーム」「シンバ(=ライオン)チーム」をそれぞれ「ナーセリーを管理するグループ」「原野に出て、植栽を傷めない程度に採取してくるグループ」「実際に植えるグループ」に仕事を振り分け、互いに競わせることにしたのでした。
その後、ケニアで会社を設立し、ホテルや大使館の庭などの仕事9年間続けました。
日本に帰国後は、現在の第一園芸に入社しています
吉開千代さんの今後
吉開さんは今後、日本庭園を管理するプログラムを作って、海外の日本庭園を整えていきたいと考えるようです。
マサイ族の人たちと仕事をしたので、どこの国の人たちとも仕事ができるという自信があるようです。
今後の活躍に期待です!
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